ひみつだった近道と原っぱで道草した放課後

昔はどこの小学校にもあった二宮金次郎の像が「歩きスマホ」を連想させるとして、今は撤廃される傾向にあるという。1年生の3学期、私が横浜市の神橋小学校から藤沢市の片瀬小学校に転校してきたとき、校門を入って最初に目に留まったのは、ジャングルジムの脇にある二宮金次郎像だった。ランドセルではなく薪を背負って、本を読みながら歩く少年がなぜ校庭に飾られているのか。彼が日本を代表する思想家だと知ったのは歴史の授業だったが、勤勉勤労の模範だった像は「お前も見習って勉強しろよ」と優等生ぶるイヤな奴にしか思えなかった。

 

2DKの借家に家族4人で引越してきた我が家には勉強机などなく、宿題はキッチンのテーブルで済ませておしまい。夕暮れまでは同級生に教えてもらった路地裏を探索しながら、もう一度学校まで往復するのを日課としていた。朝の登校時に気になっていたことを細かく再確認して歩く小さな冒険だ。これが「赤いやねの家」の2番に書いた「ひみつだったちか道 はらっぱはあるかな」の情景である。

 

たっぷり道草ができる自由な時間。私はまず苦手の克服から始めた。と言っても勉強ではなく、通学のとき最初に遭遇する難関の突破だった。江ノ電の踏切近くにニワトリを放し飼いにしている家があり、いつも道路の真ん中で数羽が雑草をつついて遊んでいる。私が横をすり抜けようとすると、目をグルグルさせながら追いかけてくるのがとても怖かった。

 

 

口ばしで突かれるわけじゃないけれど、怖いのには理由がある。私は夏休みになると、愛媛県西条市に住む父方の祖母に預けられていたのだが、家の裏手には鶏小屋があり、朝になると生みたてのタマゴを取りに行くのを仕事にさせられていた。小屋の戸を開けて中に入ると、鶏たちが集団になって騒ぎ、タマゴに手を伸ばす私を威嚇する。何とか拾ってきた数個はフンまみれ。それをポンと割ってご飯に乗せて食べるなんて、臭そうでイヤだったのだ。

しかもお祭りのときや大事なお客様が来たときには、鶏小屋から1羽が犠牲になって食卓に乗る。この唐揚げは朝、私を威嚇したアイツだと思うと、憎たらしい敵ながらも涙が出た。大人になった今は出されれば仕方なく食べるけれど、毛をむしった後の鳥肌からして、決して好きとは言えない食材である。

 

 

そんなこんなで苦手克服のニワトリ難関を突破して、江ノ電の踏切を渡れば、楽しいことばかりが待っている。知らないお宅の垣根に手を入れてサルビアの蜜を吸ったり、てんとう虫をつまんでセーターに付けてブローチ代わりにしたり、たった10メートル進むのにどれだけの時間を要しただろう。

 

両側に家が並ぶ路地を抜けたら一気に視界が開け、江ノ電の線路が左側を走る原っぱに出る。ここは四季折々の雑草や虫たちの宝庫。夕食のおかずにツクシを取ったり、シロツメクサで花冠やネックレスを編んだりして過ごし、真冬でも遊びにやってきては木にぶら下がったミノムシを揺らして遊んだものだ。原っぱの端は境川の堤防で、鵠沼駅から出入りする江ノ電が走っている。12分間隔で通る電車を眺めながら、時計のない私はおおよその時間を読んだ。

 

鵠沼鉄橋は今でこそ頑丈な橋で、しかも複線になっているけれど、私が小学生のころには両側にガードすらない単線の細い橋があるだけだった。電車が来ないスキにその橋を歩いて渡れるのは勇気があるヤツだと、男の子たちは映画の「スタンド・バイ・ミー」みたいな肝試しを計画していた。風に吹かれて身体が傾けば境川にボチャン。原っぱでの小さな冒険は大好きでも、誰が勇者になれるかの大冒険にはさすがに加わったことはない。

 

 

境川の堤防を見ながらまた路地に入ると、探すものは決まっていた。通学時に見かけた野良猫だ。愛媛県の小松町に住んでいた頃はルシアンというマルチーズを飼っていたのに、上京して借家住まいになってからペットはいない。あの柔らかなぬくもりが恋しくて、そして猫という摩訶不思議な性格の生き物が面白くて、見つけたら横にしゃがみこんで飽くことなく眺めていた。連れて帰ったら叱られることは分かっているので、同じ時間をできるだけ長く共有する。抱き上げることに成功しても、スルリと手を抜けて逃げていくのを追いかけて、暗くなるまで遊んでいたと思う。

 

 

逗子で一人住まいの今は、丸々と太った10歳のマンチカンが唯一の家族。頭を撫でるとニヤッと笑うオス猫は、小学生のとき以来の夢が叶った初にゃんペットである。