いじめっ子、いじめられっ子のキックベースボール

中学校から大学まで、私はずっと私立の女子校に通っていた。でも小学校だけは公立の男女共学。思い出深い片瀬小学校は1学年3クラスで、さほど人数は多くなかったのに、クラスメイトの名前はほとんど忘れてしまった。それでも顔つきまで鮮明に覚えている子が2人いる。

 

ドラえもんのスネ夫みたいに、小賢しくてイジメっ子の頂点にいたKくん。勉強は苦手だけど、スポーツが万能で女子のリーダー格だったSさん。そして引っ込み思案で孤立しているのに、先生のお気に入りでいつも学級委員だった私は、なぜか彼らと仲が良かった。

 

学校から帰って家にいると、Sさんが仲間を連れて「あーそーびーまーしょ」と誘いに来る。神社の境内でかくれんぼをしたり、お店屋さんの子を訪ねておやつをご馳走になったりした中で、いちばん多くいた場所はKくんの部屋だった。彼の家は江ノ電の線路ぎわで、警笛をプワーンと鳴らすカーブのところに建っていた。2階から線路を見下ろしている窓がKくんの定位置。12分に1回、ガタンガタンと電車が近づく音が聞こえて警笛が鳴ったとたんに、聞き耳を立てていた彼は「〇〇の✖✖!」と車体番号を叫ぶのである。

 

 

「僕は大きくなったら江ノ電の運転士になるんだ」と言っていたけれど、本当に江ノ島電鉄に就職できたのかは知らない。中学校に入ってからは疎遠になったので、彼が住んでいた家がまだ残っているかも分からない。でも普通のサラリーマンの子だったから家業を継ぐ必要はなく、夢が叶ったことを期待している。

 

そしてもう1人、リーダー女子のSさんは、がっしりとした体格でボーイッシュ。決して人を悪く言わない森田健作みたいな性格だ。彼女の住まいはKくんの家と線路を挟んで向かい側で、大手の自動車会社の寮だった。私の家には遊びに来ても、彼女の家には同級生の誰も呼ばれたことがなく、何か複雑な事情があったんだと思う。

 

彼女の心がどれほど温かいかを知ったのは、キックベースボールの試合をしている時だ。私は運動音痴で、まり付きはできてもボールを蹴ったり受け止めたりするのはド下手。ドッジボールでは逃げることしかできないビビリだったのである。

だんだんと仲間外れになり、同じような運動音痴の仲間たちと数人で、休み時間にボール蹴りとキャッチの練習を始めた。校庭のはずれで毎日毎日、何度やっても上達しない練習を繰り返す私たちは、コンプレックスの集合体だったと思う。でも私は、彼らよりもちょっとだけ実力をつけていることを感じていた。

 

 

ある日のキックベースボールの授業。守りのポジションは自己申告で、勇気を出してホームベース前を選んだ。フフンと笑ったクラスメートが強烈な一発をこちら目がけて蹴ってきた。そして私は真正面から、ボールをガッシリと両手で受け止めたのである。うそっ、奇跡が起きたの?と呆然としているところに、遠くからパチパチパチと拍手が聞こえてきた。それはSさんの拍手で、彼女に続いて全員が次々に拍手を送ってくれたのだ。

 

ところが有頂天になった私にしっぺ返し。校庭の隅で一緒に練習をしたコンプレックス仲間が、いきなり私を仲間外れにした。だからといって授業でボールをキャッチできた程度で、運動が上手なSさんグループに入れるはずもない。どっちつかずで孤独になった私は、仮病を使って学校を休んだ。熱はなくてもお腹が痛いと言って、布団をかぶり眠り続けたのである。もう二度と学校なんか行かないと決めていた。

 

不登校が3日続いたとき、家の外から子どもたちの声がする。私を仲間外れにした子たちが謝りにきて、彼らを先導していたのはKくんとSさん。仮病がバレると恥ずかしい私は応対できなかったけれど、祖母が何やら返答している声が聞こえてきた。明日は学校に行っても大丈夫なんだなと思い、涙がとめどなく溢れてきたのを覚えている。

 

 

小学校を卒業して、今になって想うのは同級生たちそれぞれの人生。ちょっと頭が弱く、Kくんにいじめられて不登校になった女の子は、引きこもりになったと聞いた。貧乏で頭が悪くて、いつもボスのコバンザメだった男の子は、江の島の裏側で溺れて亡くなった。KくんとSさんは普通に進学したらしいが、中学生のときに1回だけ行われた同窓会には来なかった。

 

アルバムに貼ってセピア色になった卒業写真をたまに眺める。顔を見ても名前は出て来ないけれど、親の経済状態に所以するいろんな事情の子がいっぱいいた。もちろん私もその1人。彼らはどんな大人になったんだろうと想像しながら、ドラマみたいにKくんとSさんが仲良し夫婦になっている姿を思い描いてしまうのである。