銀座とは名ばかりの商店街で買い物ブルー

逗子から横須賀線に乗って東京に向かうとき、武蔵小杉駅を過ぎると私はいつも右側の窓を注視する。西大井駅の手前で、20代前半のころに住んでいたマンションが見えるからだ。一瞬のことなので、スマホを向けてもボケた写真しか撮れないが、あの部屋には何代目の住人が住んでいるんだろう。

 

 

目黒で父と同居した半年後、新婚夫婦の私たちは大田区南馬込の新築マンションに越してきた。横を新幹線が走り、目の前は環状七号線でトラックが行きかう。鎌倉の実家と目黒のマンションに比べると、味気なく埃っぽい外気に都落ちした気分になった。

 

夫は父の警備会社に就職し、朝食のトーストを食べたら車で出勤。食器を洗って、洗濯物を干し、真新しい家具を入れたばかりの3LDKは掃除がすぐに終わる。夕食の献立は何にしようかと料理本をめくって、買い物に行って帰れば、テレビを見るしか用事がない。この単調な暮らしが死ぬまで続くのかと思うと、たちまち引越しブルーに陥った。

 

そもそも食料品を買う場所が今までと違いすぎたのが、ブルーになった大きな原因。毎回バスに乗って大森駅まで出るわけにはいかず、歩いて行ける店を探した。環七通りを渡って5分ほど歩くと、馬込銀座という商店街がある。大田区山王という住所にありながら、お屋敷街の山王とは雲泥の差。歩いているのはサンダル履きで、買い物かごに長ねぎを入れた中年の主婦たちだった。

 

 

これまでスーパーかデパートでしか買い物の経験のない私にはカルチャーショック。せわしなく動く八百屋のおじさん、ましてや大声で叫ぶ魚屋のお兄さんとは口を聞くのも恐ろしい。ざるに盛られたイカの前に立ち、「おねえちゃん、安くしとくよ!」と言われた瞬間、固まって「ハ、ハイ!」と答えるしかなかった。お嬢様大学を出た温室育ちの一人娘にとって、銀座と名がつく商店街は新宿歌舞伎町よりも怖かったのである。

しかも当時は買い置きをするという頭がなく、1日1回は行かなくてはならない関所。少しでも仲良くしようと「ごきげんよう」「恐れ入ります」なんて挨拶をすれば、ガハハと笑い飛ばされる宇宙人たちの溜まり場に思えた。

 

会社がよほど嫌なのか、夫は同僚と飲みに行くこともなく、終業時刻ぴったりに仕事を終えて帰ってくる。新婚なので嬉しくはあったけれど、彼が急いで帰宅する理由は野球が見たいから。何時間もかけて作った料理を「美味しい」と食べてくれるわけじゃなく、夫がテレビに向かって食事をする姿を毎晩見ているだけだった。

 

近所には知り合いもいない。隣に住んでいる主婦はほとんど口を聞いてくれない。つのっていく引越しブルーを解消するために、思いついたのは趣味に打ち込むことだった。

私は学生時代から洋裁が大好き。大学の帰りに文化服装学院のオープンカレッジに通っていたので、生地を買ってくればワンピースぐらいは自分で縫えたのである。型紙を作り、布を裁断し、ひたすらミシンを踏みまくった。自分の服だけは飽き足らずに夫のシャツまで縫って、生地やボタンを買うお金が乏しくなると、父を訪ねてお小遣いをねだった。

 

 

面白いことが見つかれば、恐ろしい商店街での買い物にも耐えられる。さっさと食料品を買って冷蔵庫に入れさえすれば、夕方までは趣味に打ち込む時間がたっぷりあるからだ。ついには家庭用の編み機までも購入して、職人かと思うほど服作りに没頭した。自分の羽毛を抜いて布を織った「鶴の恩返し」のように、私は何かに夢中になると部屋に立てこもる癖があり、一人っ子で育ったせいか、それはそれで楽しいのである。

 

ただし趣味に打ち込む時間が続いたのは数カ月だけ。来春には子どもが生まれることが分かり、出産後に備えて育児の勉強に励むことになったのだ。そこに襲ってきたのがマタニティブルーなのだけれど、これについては他の機会に書くこととする。