ペットロスでも涙が出ない子が大人になって

一人っ子で、両親が共働きだった私は常にぬくもりに飢えていた。犬猫でも鳥でも金魚でも、とにかく動物が飼いたくてたまらなかった。愛媛県に大家族で住んでいた幼児の頃は、ルシアンという名のマルチーズがいたけれど、一家離散したときに誰が連れて行ったのか、それとも手放してしまったのか、別れ際を覚えていない。

 

横浜の六角橋に住んでいたときはコッカスパニエルを飼っていた。しかし藤沢市片瀬の家に引越してまもなく、朝起きたらその子は冷たくなっていたのである。当時は豆炭を入れた置炬燵で暖を取っていて、布団をかけた中に犬が潜って眠り、一酸化炭素中毒で死んでしまったのだ。それを機に我が家では動物を飼うのが御法度になった。

 

小学校3年生の時、学校の帰りの道端に、茶色くてヒクヒク動いているものが落ちているのを見つけた。近寄ってみたらスズメの幼鳥。手で温めながら家に連れて戻り、小さな箱に布のベッドを作って、その子の世話をすることにした。
「ドンビリ子だね。うまく飛べなくて巣から落ちたんでしょう」と祖母は言う。
兄弟が巣立っていった最後に残った末っ子で、どんくさい子のことらしい。

 


小鳥を育てるのは初めてなので祖母に知恵を借り、すり潰したご飯を箸の先に乗せて口ばしに入れる。ハグハグハグと食べてくれたのを見て、私は宿題もそっちのけで世話を続けた。学校に行っている間は祖母にお願いして、小さな命が助かってくれるようにと、朝から晩まで小雀のことばかり考えていたのである。

 

一週間後にはチュン!と大きな声で鳴くほどに回復し、私はチュン子という名前をつけた。そのとき起きていたのはインプリンティング。生後間もない動物は近くで動くものを親だと思い込んでしまう「刷り込み」だ。チュン子は私にベッタリとなつき、いつも肩の上に乗って過ごすようになった。近所の食料品店におつかいに行くときも肩の上。「まあ可愛い!」と目を丸くするお店屋のおばさんは、おまけに飴玉を奮発してくれたものだ。

 

人懐っこいチュン子はたちまち家族の一員になった。食事は一緒のダイニングテーブルで、寝るときは枕の横で、私がいないときは脱いだセーターの上で帰りを待っている。巣から落ちた時に羽根を傷めたのか飛ぶことはできないけれど、ぴょんぴょんジャンプして移動することはできる。「ごはんだよー」と呼ぶと食卓にやってくる姿は、まるで自分の子どものようだった。

 

 

チュン子にはマイルームも与えられた。小さすぎてどこに行ったか分からなくなるので、私がいないときは竹の鳥かごに入れておく。スズメの習性なのだろうか、糞はツボ巣からお尻を出して外にする。手のかからない鳥だねと家族は感心し、我が家のアイドルとして欠かせない存在だった。

 

ところがある日、アクシデントが起きた。チュン子が後ろからついてくるのに気付かず、私はかかとで踏んづけてしまったのだ。慌てて拾い上げるとまだ生きていて、小刻みに震えている。巣から落ちていたのを拾ってきた日のように、手であたためて、すり潰したご飯を口ばしに運んで、つきっきりで様子を見守った。でも、もう大丈夫かと鳥かごの止まり木に戻したとたん、ポトリと落ちてそれきり動くことはなかった。

 

冷たくなったチュン子をどうしていいやら、身体を叩いたり頭をマッサージしたり、ショックを与えたら生き返らないかと思って床に落としたりもしてみた。でも生き返ることはない。不思議なのは、愛する者の「死」を目の当たりにしたのに、なぜか涙が出なっかったこと。庭の隅にお墓を作り、どこかにチュン子みたいな子は落ちていないかと、近所の軒下を探し回る日が続いた。

 

 

後日、国語の時間に書いた「チュン子の思い出」という作文は、神奈川県の作文コンクールで賞をもらった。やたら句読点の多すぎる文章を先生に指摘され、放課後に残って何度か書き直した末に応募してくれたのだ。定年間近な女性教師で、いつも私をひいきするので周りの生徒からは反感を買っていたけれど、私の物書きとしての才能を見出してくれたのはこの人である。私立の女子中学を受験するときも、苦手科目の克服に力を貸してくれた。

 

その先生が亡くなったと聞いたのは、高校のときだった。あれほどの恩師だったのに涙が一滴も出ない。コッカスパニエルが死んだときもチュン子のときも泣かなかった私は、脳の働きが普通の人と違っているのだろうか。それは大人になってからも続き、「死んだ」→「悲しい」→「泣く」という回路ができていない自分が薄情者に思えて、ずっと隠し通してきた。

 

ただし大切な存在が消えたことへ喪失感は巨大なブラックホールのようで、一つ足りとして忘れることはなく、いつか自分の番がくるときまで抱え続けていくのだろうと思っている。こうして文章に残せる才能をくれた先生には、次の世界で出会ったときにちゃんとお礼を言えて、嬉し涙が出る私になっていたらいいのだけれど。