サヨナラを決めた彼の部屋から持ち帰ったお泊りセット

目黒の大鳥神社交差点近くに、仕事部屋として1DKのマンションを借りたのは昭和の終わりごろ。息子は鎌倉市七里ガ浜の実家から歩いて行ける小学校に入学し、私が都内に行っているあいだは祖父母が面倒を見てくれた。明けても暮れても台本を書きまくり、テレビ局・ラジオ局での収録、音楽スタジオでのリハーサルに立ち会うのがルーティーン。構成を担当したコンサートツアーにくっ付いて行き、ミュージシャンたちと地方で美味しいものを食べるのが最高の息抜きだったと思う。

 

当時の恋人は地方に住み、大っぴらに手を繋いで歩くことができない人。私の10倍は多忙を極めた売れっ子だったので、宿泊先に借りている都心のワンルームで同じ空気を吸うのが私たちの時間だった。彼はお酒が大好きで、白ワインを飲みながら仕事をする。ワインボトル数本の買い出しに、リカーショップまで往復する数十分が昼間にできる唯一のデート。あとは仕事をしている彼の後ろで自分の原稿書きをしたり、窓から東京タワーのイルミネーションをぼんやり眺めていたり、邪魔にならないよう息を潜めて過ごしたものだ。

 

 

世間に許されない関係は、逢えたときは嬉しくても、後ろめたさと切なさが付きまとう。周りに迷惑をかけないようにピリオドは私から打たなくてはと思っていた頃、日本も昭和のピリオドを迎えた。1月7日の朝、天皇が崩御されたニュースを聞いたあと、私は目黒通りでタクシーを拾って、彼に別れを告げに行ったのである。徹夜仕事を終えた彼から「どうしても逢いたい」と電話があり、ベッドにもぐりこむ前に白ワインで乾杯したいと思っていたようだけれど、差し出すグラスを私は受け取らなかった。部屋に置いていた僅かな荷物をカバンに入れ、自分からは開けることのできないオートロックの玄関から外に出た。これで終わりと大きく息を吐きだして、その日の午後には新しい元号の平成が始まったのである。

 

持ち帰ったのは仕事道具、暇つぶしの本、歯ブラシ、ヘアブラシ、Tシャツその他もろもろ。一人暮らしの恋人ができてお泊りに行くようになると、女は置いてくる身の回りのものがだんだん増えていく。最初は遠慮していたのに、洗面台のコップに歯ブラシを刺したままでOKとなれば、彼の部屋の市民権を得たのも同然。同棲しているような気分になっていくのだ。

 

ところが2人の仲が壊れると、宙ぶらりんになるのは彼の部屋に溜め込んでいた私物である。別れ話をする場所に持って来てとお願いすれば、ヘアブラシに付いた髪の毛なんかを冷静に眺められてしまうだろうし、中身を一つひとつ確認するのは照れくさい。心を冷ややかにして取りに行くか、捨ててくれるように頼むしかないのだ。私の場合は前者。立つ鳥跡を濁さずで、一切の証拠を消しに行った。それがお世話になった恋人へのマナーだと思ったからである。

 

それから1年後だったか、東京タワーが見える部屋を彼が引き払う夜、未練がましくも少しだけ逢いに行った。家具を運び出した部屋の床にワインを置いて、お互いに「あのときはごめんね」の思い出話をした。新幹線の最終で帰るというので、私は東京駅まで見送りに行ったけれど、「乗りたくない。タクシーで帰る」と言い張る彼は頑として電車に乗らなかった。

 

 

そのあとどうしたかは・・・物書きのブログ「文章で稼ぐ贅沢」に載せた。実話とフィクションとが半々の短編小説で「遠距離恋愛と天の川」というタイトル。

以後、毎年7月7日には書き下ろし短編としてショートストーリーを書くのが習慣となり、今では12本が溜まっている。全てが七夕をモチーフにしたラブストーリー。条件が限られているのでネタに詰まってきたけれど、何が何でも7月7日にアップするのは、別れた彼へのオマージュかもしれない。今は空にポツンと光る星になってしまった恋人に、「今度のストーリーはどう?」と白ワインのグラスを掲げる日がまもなくやってくる。

 

【 七夕の書き下ろし短編 】

2007年7月7日 『遠距離恋愛と天の川

2008年7月7日 『織姫と彦星が会えない理由

2009年7月7日 『七夕デート

2010年7月7日 『名画座最後の夜

2011年7月7日 『一個残しと以心伝心

2012年7月7日 『七夕飾りの短冊と女心

2013年7月7日 『アラサー女子と天気予報の彼

2014年7月7日 『君とアキタと七夕の夜

2015年7月7日 『私のこと、愛してる?

2016年7月7日 『雨がくれた贈り物

2017年7月7日 『七夕飾りの黄色い輪

2018年7月7日 『平均寿命100歳まで生きる私の恋愛