トンデモない昭和|個性をつぶしたお嬢様学校のブラック校則

今日のTBS「サンデー・ジャポン」で、ブラック校則が取り上げられていた。厳しすぎる校則への賛否両論が渦巻く中、世田谷区の教育委員会は区立中学校の校則を、この秋から各校のホームページで公開する方針を決めたという。

以下は2019年6月15日、東京新聞朝刊からの引用。

東京都世田谷区教育委員会は十四日、区立中学校の校則を今秋から各校のホームページで公開する方針を示した。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう求めたり、下着の色まで指定したりするような「ブラック校則」を疑問視する声が高まる中、区教委は校則を公開することで、行き過ぎた校則の改善につながることを期待する。区議会一般質問での答弁で明らかにした。

「肌着や下着は白」「セーターは良いがカーディガンはだめ」といった区内の学校の校則の見直しを求める意見が区議会で出され、区教委は二〇一八年度、各校に校則の項目の見直しを求めていた。

 

 

昭和の時代にブラック〇〇という言葉はなかったが、私が中学・高校と通っていたお嬢様学校「〇〇学園」の校則は理不尽なものばかりだった。

パーマ、カラーリング禁止。前髪を切ってはいけない。おでこを全開にする。肩につく髪は二つに分けて縛るか三つ編みにする。

私は生まれつきのくせ毛なのに、先生からホームルームの時間、みんなの前で髪を引っ張られ「パーマをかけてるの?」と問いただされた。「遺伝です」と答えても信じてもらえず、親から一筆貰ってくるように言われたことがある。

反発心がマックスに達していた高校3年。みんながこっそりやってるからと真似して、前髪を切ってピンで止めて行ったら、口うるさい指導教員に呼び止められた。決定していた某女子大への推薦入学を取り消すと言われ、身だしなみチェックを受け続ける日々が卒業まで続いたのである。

 

ソックスは三つ折りにする。

当時は靴下のゴム編み部分に糊をつけて、ハイソックスのように履く「ソックタッチ」が大流行。しかし校則は、平凡な白のソックスを三つ折りにするのがルールだった。朝は校則違反の生徒に目を光らせる先生たちが校庭で待ち構えている。おしゃれするなら放課後だと、生徒たちは下校時に校門を出たらすぐ、ソックタッチをカバンから取り出して、靴下をスネに貼り付けていたものだ。

 

紙袋・手提げ袋の使用禁止。

学生カバンに入りきらないものは、学校指定の風呂敷に包んでくるように言われた。持ち運びにくいという不満が多かったことから、やがて校章がプリントされた紺色の紙袋が作られて、売店でお小遣いを出して購入したのを覚えている。

 

制服は夏でも長袖。

衣替えになると、セーラー服は紺色から白になる。ところがカフスまでバッチリと留める長袖で、しかもプリーツスカートの上部はジャンパースカート風のベストになっていた。暑い以外の何物でもない。

忘れられないのは高校2年の修学旅行。8月に1週間かけて九州を一周する旅だったが、長崎についた初日に私は脱水症状になった。猛暑にやられ、いくら水を飲んでも頭がクラクラする。翌日からは長袖のセーラー服でなく、半袖のポロシャツを着てOKだったけれど、時すでに遅し。私は高熱が続いたので、みんなが観光している間はエアコンが効いたバスの中で過ごし、九州を体験できたのは後半の数日だった。

 

リップクリームは禁止。

カラーリップなんて問題外で、唇に何かを塗るということ自体が禁止されていた。乾燥する冬は唇がひび割れて血が出ても、ケアすることができなかったのである。

 

父兄同伴以外は映画館・喫茶店に入ることは禁止。

学校帰りにスイーツを食べに行くなんてとんでもない。土日であっても、友だちと一緒に繁華街に行くことを禁じられていた。私はコーラス部に在籍していたのだが、文化祭での出し物のために映画「サウンドミュージック」を部員たちで見に行くときも、学校からの許可を貰い、映画館以外はどこにも寄らずに帰宅した。

 

教室で昼食時間以外の飲食は禁止。

当時の暖房は、教室の後ろにある大きな石油ストーブ。横に鉄製の棚が置いてあり、お弁当を並べて温めることは許されていた。ところがある日の放課後、クラスメートが鍋を持ち込み、ストーブでインスタントラーメンを作ったのである。学年で成績トップの優等生だったのに、彼女は1週間の停学となった。

 

この他にもトンデモない校則は沢山あったと思う。ブチ切れて前髪をパッツンした高校3年のとき、毎週ひとりで新宿まで通い、大学生のふりをしていた話は「独りで部屋を片付けた22歳の引越しブルー」に書いた。このとき校則違反をしていたおかげで作詞家の道が開けたのを振り返ると、いま取りざたされているブラック校則は子どもの個性を妨げるものにしか思えない。

 

私が通った女子校は、挨拶が「ごきげんよう」の良妻賢母を育成する名門であったけれど、今では校則も多少ゆるくなったようで、夏には半袖の制服になった。今や夫婦の3組に1組が離婚している時代、そして100年まで生きる時代になったのだから、お嬢様学校であっても女一人で生きていける力を身に付けるのが、未来に役立つ教育ではないだろうか。