サンリオピューロランドの歌詞作りに励んでいた頃
- 2019.06.28
- 思い出の歌
- サンリオピューロランド, ピューロマーチ
京王多摩センター駅の列車接近メロディーがサンリオピューロランドのテーマソングなのを人づてに聞きました。youtubeで探すと、1番線から4番線まで「ピューロマーチ」が使われています。懐かしい!
なぜ懐かしいかというと、1990年12月7日にピューロランドがオープンするにあたり、パレードやショー、アトラクションで使用する曲に日本語の歌詞をつけたのは私なのです(他にも作詞家はいたと思います)。どうして私に依頼が来たのかは忘れてしまいましたが、当時はNHKやテレビ東京で盛んに子どもの歌を書いていましたから、適役だと思ってくれたのかもしれません。
ショーの構成を請け負っていたのはランドマーク・エンターテイメント・グループというアメリカのエンターテイメント制作会社。私に渡された譜面とデモテープには英語の歌詞が入っていました。それをできるだけ原語の意味に近く、一つ一つの音符に歌詞をはめんでいくのは膨大な作業だったと記憶しています。
物置に放り込んでいた楽譜の束から、下書きの譜面が出てきました。鉛筆で汚い文字を音符の下に書き入れて、自分で何度も歌って試した名残りです。「ピューロマーチ」もあったはずですが、どこかへ行ってしまいました。
ピューロランドのオープンはちょうどクリスマスシーズン。上の譜面にあるようにクリスマスバージョンの歌が多かったと思います。ただし打ち合わせが始まったのは半年前ぐらい前からで、多摩センターのサンリオ・コミュニケーション・ワールドにせっせと通っていました。
スタッフのほとんどはアメリカ人。コーディネーターとして参加した日本人女性が通訳をし、麻布十番の録音スタジオでは、歌っては直しを繰り返したものです。日本語の意味よりも、韻(ことばのひびき)を重要視したハメ込みでした。
youtubeに公開されていた動画をお借りします。4分11秒ぐらいから上の譜面に書いた日本語詞で歌い始めます。7分55秒からは「ピューロマーチ」。英語と日本語のリミックスバージョンでした。
オープン当日以外、私はピューロランドに行ったことがなくて、次は大分のハーモニーランドの歌作りに追われていました。サンリオのキャラクターがここまで大人気になるとは、思いも寄りませんでしたね。1993年に発売されたCD「シング!シング!サンリオピューロランド」はプレミアが付いているそうです。欲しかったな。
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