こっちとそっち|小学校の入学式で一目惚れがバレた記念写真
私の父はとんでもない女好きで、15年前に脳卒中で倒れたときには8人の愛人がいた。女癖の悪さがいつから始まったかは、祖母に言わせれば「いったい誰に似たんだろうね?」。家系にはいないタイプだったそうだ。ルックスと頭脳が良く、営業トークも上手なおかげで、20代にして銀行の支店長になれたのだけど、家庭運は薄い人だった。母は結婚した相手を間違えたと気付いたときには、もうお腹の中に私がいて、次からこの男の子孫は増やすまいと決心したらしい。
祖父の事業の失敗により愛媛県小松町での暮らしが破綻し、夜汽車で家族3人が東京に出てきたとき、父の愛人も後を追いかけて上京した。自動車セールスの職を得て働きまくる父は、顧客を接待する忙しさもあっただろうが、いつも帰りが遅かったのは愛人のアパートに通っていたせいだ。その女性は愛する男の力になるため、母は一人娘を守るため、二人とも苦しい生活を乗り切ろうと水商売で働いたおかげで、今の私があるのかもしれない。
DNAとは恐ろしいもので、私は恋が何だか知りもしないのに、異性が気になる性格を子どものころから受け継いでいたようだ。小松町で保育園に通っていたころ、仲のいい男の子がいた。ステディみたいに隣りに引っ付いて、イケメンだった彼の顔を眺めているのが好きだった。
ところがトラブル勃発。一緒に砂場で遊んでいたある日、気の強い女の子が私たちのあいだに割り込んできたのである。私はその子と大喧嘩をしたらしく、口の中に泥団子を押し込まれた。いくら口をゆすいでも砂のジャリジャリは残ったままで、火が付いたように泣きわめく私を幼稚園の先生は早引きさせて家に帰した。
「私は悪くない!あの子にやられた!」と叫んでも、全く聞き入れてもらえない。悔しくて泣き声はますます大きくなり、地団駄を踏んで恨み節を唱え、そのころ中学生だった叔父は呆れはてて「コイツは将来ダメだ」と日記に書き記したという。
恋心が芽生えるにはまだ小さすぎたので、その時が初恋だとは思えない。でも横浜の六角橋に引越してきて、小学校に入学した日に明らかに一目ぼれした相手がいた。それは校庭のひな壇に並んで新入生の記念写真を撮ったとき。最前列で右端に立っている私は横を向いて、左端にいる男の子をじっと直視しているのだ。どこでフォーリンラブしたのかは記憶にないけれど、後から写真を見たところでは、切れ長の目をした賢そうなイケメンだった。面食いの始まりである。
残念ながらその子とは仲良くなることもなく、我が家は藤沢市片瀬に引っ越すこととなり、私は3学期に他の小学校へ転校した。引越し先で取り出して眺めるのは、入学式のモノクロの記念写真。彼とは手を繋ぐことすらなく、片思いが両想いになれたら幸せだったのにと、マセた小学1年生は恋に憧れていた。まだ少女漫画も知らない年齢のくせして、どこから色気が湧いて来たのか、やはり父の遺伝としか思えない。
この2つの体験から想像をめぐらせて書いた歌詞が、NHK「おかあさんといっしょ」で今月の歌になった「こっちとそっち」である。
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