江ノ電の警笛が聞こえる2DKの小さな窓から
神奈川県藤沢市片瀬。江の島に近く、どの庭にも松の木が生えているこの地域は、私の子ども時代が凝縮された場所だ。いっぱい遊んで、いっぱい泣いて笑って、小学校1年の3学期から中学生の終わりまでを過ごした。
日産の営業マンで業績を上げた父は、いつもお世話になっている大企業の重役から家を借りることになった。タウンハウスと呼ぶのだろうか、一戸建ての家が半分ずつに仕切られたアパートみたいな借家だ。私たち家族は右半分の2DKに、横浜の六角橋から引越してきたのである。玄関を入るとダイニングキッチンと6畳間、2階は6畳一間。父母は下の部屋を使い、祖母と私は2階をあてがわれ、階段を上ったところにある小さな窓が最初の友だちになった。
大人たちは引越しの片づけで忙しく、まだ外に遊びに行く勇気のない私は、窓から新天地を観察する。日傘をさして砂利道を歩いていくお金持ち風の奥様。ラッパを吹きながら自転車を漕ぐお豆腐屋さん。五感のアンテナをフルに立てると、家の周りの景色だけでなく、相模湾から漂ってくる磯の香りや、電線に身体を寄せ合ってお喋りするスズメたちの声も友だちになるのだ。
気付いたのは10分置きにプワ~ンと電車の警笛が聞こえてくること。もっと耳をすますと、車体がガタンガタンと線路を走る響きも分かる。音の主は江ノ電。カーブに差し掛かると警笛を鳴らすポイントが、家が数軒立ち並ぶワンブロック先にあったのだ。
出典:Wikipedia Author:Kansai-good(CC BY-SA 4.0)
家から歩いて5~6分の距離にあったのが湘南海岸公園駅。今でこそ屋根のある長いホームになったけれど、私が小学生のころ江ノ電は2両編成だったので、どのホームも短くてベンチがポツンとあるだけ。単線のレールが横切る道路は閑散として埃っぽい砂利道だった。まだ自動改札などない時代。列車交換のない単式ホームの駅には職員はおらず、車内で車掌さんから切符を買うか、降りた駅で「湘南海岸公園から」と自己申告して電車賃を払ったものである。
隣りの鵠沼駅へ向かう江ノ電の車窓から、左側に一瞬だけ見える片瀬4丁目の借家を詞に書いたのが「赤いやねの家」。警笛を鳴らすポイントを過ぎ、もう少し先にある踏切から我が家の屋根が見えた。ビルの裏側に隠れてしまったという2番の歌詞はフィクションで、もっと住居が密集したので見えなくなったのが本当の理由だ。
あれから何十年も時が過ぎ、既に家の跡形もないだろうけれど、「生まれた場所へのひとり旅」のように訪ねてみたい気持ちは大きい。でもやっぱり行けない。今暮らしている逗子から1時間かからずに行ける距離であっても躊躇するのは、狭くて汚いながらも一番好きだった家であり、無くしてしまった宝物がありすぎるからだ。思い出したとたんに引越しブルーの気分になる。
たとえば大事にしていたゴムまり。引越してから両親は毎日1時間以上かけて東京まで通うようになり、私はますます一人ぼっちになった。母方の祖母も一緒に暮らしていたけれど、自分の趣味に打ち込む人だったので、孫娘の遊び相手にはなってくれない。そこで私はもっぱら「まりつき」で遊ぶようになり、家の前の道路でポンポンとゴムまりを弾ませていた。
でも根っからの恥ずかしがりだったので「
まりつきをする子なんて、今はいるのかな。友だちとじゃんけんしながら階段を上り下りした「グリコ、チョコレート、パイナップル」も懐かしい。お小遣いをもらってグリコのキャラメルを買いに行った西方マーケットは、現在ではイタリアンレストランになっているようだ。
-
前の記事
こっちとそっち|小学校の入学式で一目惚れがバレた記念写真 2019.05.01
-
次の記事
ひみつだった近道と原っぱで道草した放課後 2019.05.03