路面電車と六角橋の雛祭り|木目込み人形の兄弟姉妹たち
今はミュージアムでしか見られないベージュ色の路面電車。横浜市電という一両の電車に乗って、私は祖母と一緒によく高島屋まで行ったものだ。 『ALWAYS 三丁目の夕日』のように、つつましやかな暮らしだったけれど、デパートに行くというイベントは我が家のハレの日だった。車掌さんが紐を引っ張ってチンチンと慣らすベルの音に、心を弾ませて10分ほどの旅を楽しんだ。
愛媛県から東京に夜逃げしてきた私たち家族は、父が東都日産に営業マンの職を得たことで、横浜市神奈川区の六角橋に平屋建ての古家を借りた。相当ハードに働いていたのだろう、父の帰りはいつも真夜中近い。母も水商売で働きだしたので、私の面倒を見るために母方の祖母が上京し、ほぼ二人暮らしのような生活を送っていた。
六角橋の香蘭幼稚園に通い始めた私は、一人っ子のせいか周りとのコミュニケーションがうまくできない。幼稚園から帰ったら友だちと遊ぶこともなく、祖母と午後を過ごすことがほとんどだった。三味線を弾いて「梅は咲いたか桜はまだかいな」と唄うのを横で何度も聴いて、私は幼稚園児ながら小唄を暗記して口ずさんでいたものである。
3時になると出してくれるおやつは「かりんとう」。犬のウンチみたいなルックスをして、えぐみのある黒砂糖の味が美味しいとは思えない。でも祖母は他のお菓子には目もくれず、高島屋へかりんとうを買いに行くのを楽しみにしていた。そのときに他のお菓子をちょっとだけ買ってくれるのが嬉しくて、私には六角橋から路面電車に乗るのが最高の贅沢だったのだ。
祖母は三味線以外にも、趣味として木目込み人形をよく作っていた。木で作られた人形に、目打ちで端切れを押しこんで衣装を着せていく。布の匂いと糊の匂いが部屋に立ち込め、チマチマと細かい作業の終わりを見るまでには随分と時間がかかったものだ。
冬の終わりに、高島屋で奮発して買ってきたのは男雛・女雛の木型。木目込みの雛人形を孫娘に作ってやろうと、金銀の美しい布切れも一緒に買い込んだ。女の子のお祭り、桃の節句は母も一緒にお祝いしてくれると聞いていたので、人形がだんだん完成に近づいていくのが嬉しかった。
そして3月3日の夜。母の帰りは深夜になると聞かされ、やっぱり祖母と二人だけの寂しい夕ご飯。40ワットの電気は薄暗く、母親恋しさにガックリしていた私を元気づけようと思ったのか、いきなり祖母が「うれしいひなまつり」を歌い始めたのである。4畳半に置いた茶箪笥に木目込みの男雛・女雛を飾り、阿波踊りみたいに両手を挙げてパフォーマンス。そのユーモラスな姿に私も後から続いて、二人で弧を描きながら歌い踊った。白酒もないけれど、女同士の宴会だ。
趣味にのめり込んだ祖母は男雛・女雛に限らず、いずめこや藤娘、十二単のお姫様など作り、茶箪笥の上に並べていった。木目込み人形は形は似ていても顔はみんな違って、童もいれば大人もいる。もしかしたら私に兄弟姉妹を作ってやろうと、声はせずとも賑やかな茶の間にしてくれたのかもしれない。
それから幾度も引越しをしていった途中で、人形たちは箱に入ったままどこかに消えてしまった。トラックの荷台から落ちたのか、それとも私の世話から用済みとなった祖母が田舎に帰るときに連れて行ったのか、行方は分からないままだ。もっと大切にしておけば良かったと後悔しても、帰ってこない物のほうが多いことを知るのは大人になってからである。
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