鎌倉高校前駅から初めての電車通学をしたティーンエイジ

12年ぶりに祖父母と両親、そして一人娘の私とで暮らすことになった鎌倉市七里ガ浜の家は、観光客に大人気の江ノ電「鎌倉高校前」駅から歩いて10分のところにあった。相鉄が開発したシーサイド分譲地という名で、次々に家が立ち並び始めていた新興住宅地だ。我が家は江の島が丸々見下ろせる絶景が自慢だったが、怖いのは雷が近づいたときで、閃光と地響きがすさまじい。どの家よりも高い場所にあるので、万が一にも落雷したときの危険に備え、家族全員が車庫のセダンに逃げ込んだものだ。

 

 

初めて自分の城を持つにあたり、父は設計にこだわった。住宅資金を借りたお得意様の工務店の社長には、設計・建築もお願いして、歌舞伎門がついた純和風の4SLDKを建てたのである。垣根は柘植の生垣。庭にはひょうたん型の池まで作り、椿や紅葉、ヤマモモ、梅などの木々を植木屋に頼んで配置した。どうやって資金を返済するのやら、がむしゃらに働けば運は付いてくると父は思っていたのだろう。

 

 

そのとき我が家には、「101匹わんちゃん」で知られるダルメシアンがいて、桧造りの犬小屋まで特注した凝りようである。しかし私はとことんペットにはツキがない。「ペットロスでも涙が出ない子が大人になって」に書いた通り、可愛がっていたコッカスパニエルとスズメを失い、このダルメシアンのポールも片瀬の家から七里ガ浜の家に連れて来てまもなく、悲しい死を遂げた。農薬を塗布したドッグフードが投げ込まれ、朝になったら小屋の前で死んでいたのである。「誰かのやっかみだろう」と祖父は言った。

 

これまで書いてきたように、うちは金持ちではない。普通に買えば高価なダルメシアンも迷い犬になっていたのを、母が車に乗せて拾ってきたのだ。嬉しいと歯を見せて笑う陽気な犬だったが、彷徨ってる間にひもじい思いをしたのだろう、欠点は常に腹ペコでいやしいこと。散歩に行けば飼い主をズルズルと引っ張り、道にあるものはゴミでも野草でも貪欲に食らいついた。

 

ポールに拾い食いをやめさせようと、片瀬の家にいた頃、あらかじめ散歩ルートに鷹の爪を撒いてみたこともあった。でも効果なし。ポールは目を真っ赤にしながらも一個一個を美味しそうに食べたるので、この性癖は治らないと諦めていたのだ。そして七里ヶ浜の家で立派な犬小屋を与えられて1か月、毒入りドッグフードにより呆気なく死んでしまうのだから、厳しく仕付けておけば良かったと後悔した。

 

 

こうして引越しブルーとともに始まった新居での生活。2階のいちばん景色のいい部屋が私の個室となったものの、あまり楽しくない。学校から帰ってくれば笑って出迎えてくれる愛犬のポールはいないし、夜になれば祖父母、父母は鍵が付いた夫婦の部屋に籠ってしまう。狭い借家にいたときには嫌でも耳に入っていた家族の声がピタリと聞こえなくなり、一人の私にはテレビしか友だちがいなくなった。

 

引越しブルーはもうひとつ。これまで小学校、中学校と徒歩で通学していたのが、初めての電車通学をすることになったのだ。当時の湘南白百合学園高校は片瀬海岸にあって、私は鎌倉高校前駅から江ノ電に乗り、腰越駅、江の島駅と2つの区間を乗る。通勤ラッシュもない楽チンな通学だけど、耐えられないのは朝、電車のホームまでの道だった。

 

到着した電車から鎌高の生徒たちが一斉に降りて、狭い通路を騒がしく歩いてくる。これから電車に乗る私はただ一人、向かい風のようになった彼らとすれ違わなくてはならない。白百合のセーラー服はいかにもお嬢様学校の制服で、ジロジロ見られるのが毎朝苦痛だった。しかも当時の鎌高は男子生徒が多く、一人っ子で女子高に通う私は同年代の男の子なんて見たことがないので、自意識過剰かもしれないけれど、足が震えるほど怖かったのである。

 

 

でもやっぱりティーンエイジ。恋に恋する気持ちは人並みで、毎朝すれ違う生徒の中に私のことを気に留めてくれる男子がいたらいいなと思い始めた。髪を伸ばし三つ編みにして、学校で禁止されている色付きリップクリームを塗ってみる。おしゃれに目を向けることで、引越しブルーはリップクリームのピンクに負けて引っ込んだ。お小遣いでファッション誌のan-anを買って、大人の女に憧れだしたのもこの頃。本当に大人になれば苦しいことが山のように襲ってくるとも知らず、ずいぶん単純に生きていた少女時代は、今思えばいちばん幸せだったときかもしれない。