PTAの女ボスに落書きの濡れ衣を着せられたシングルマザーの息子

平日は東京都目黒にある仕事部屋のマンション、週末は鎌倉市七里ガ浜の実家。トランクに1週間分の生活用品や衣類を入れて移動する自家用車は、私にとっての小さな引越し屋さんだった。目黒通りから環状8号線へ。第三京浜、横浜新道を走って1時間ほどで、フロントガラスの風景は灰色のコンクリートから、青い海が続く湘南海岸へと変わる。エアコンを切って窓を全開にすると、小学生の頃から馴染んだ磯の香りが心まで満たしてくれた。

 

 

我が家は高台の頂上にあったので、小学1年生の息子は15分ほどかけて坂道を下って通学する。小学校があるのは西武の分譲地でサラリーマンの子どもが多い。その一方、私の実家があるのは相鉄の分譲地で、一個一個の敷地が広く、経営者の家庭が多かった。

 

祖父母と暮らしていても(父が帰るのは週末のみ)、私はシングルマザー。息子の教育については全て決定権ある。当然PTAの会議などには平日でも東京から戻って出席したが、いつも違和感を感じていた。例えば、父兄と教師との懇親会に用意する茶菓子代をどう捻出するかという会議。1人につき100円を出そうという議題に賛否両論がうずまき、決定までに2時間も要するのである。

 

PTAのボスAさんは、がっしりとした女子プロレスラーみたいな体形で、他人の口出しを攻撃する人。顔は和歌山カレー事件のH被告に似て、薄ら笑いを浮かべたふてぶてしさが威圧感を与えるタイプだった。そのAさんがある日、息子の首根っこをつかまえ、勝ち誇った形相で我が家に怒鳴り込んできたのである。

「お宅の息子さんが、通学路にある家の壁に落書きをしました。すぐに謝りに行って下さい!」

 

息子に話を聞いても、真っ青な顔になってガタガタ震えているだけ。どういう状況だったのかをAさんに尋ねると、壁の落書きを発見した家主が、これはどこかの子どものイタズラに違いないと思い、Aさんに相談してきたと言う。そこでAさんは通学路を通る一人ひとりの児童のランドセルを開けさせ、入っているノートを開いて筆跡鑑定したと言うのだ。実行犯を見たわけでもないのに、うちの息子が一人でやったと決めつける捜査結果を生み出した。

 

 

私一人では対処できず、都内の会社にいる父に電話を入れて事情を話すと大激怒。

「そもそも小学生がやったとも分からないのに、冤罪じゃないか! その家に、塀ごと建て替えてやると言ってこい!」

その後はどうやって解決したか聞いていないけれど、札束を持って行って、辞退する相手に無理やり渡してきたらしい。どっちもどっち?

 

それでも父の怒りは収まらず、息子を私立の小学校に転校させると言い出した。江ノ電と小田急を乗りついで、1時間以上も通学時間がかかるミッション系の小学校に、1年の3学期から通わせることになったのである。

 

当時はバブル期の真っ盛り。毎日マンションが1部屋買えるほど、株で儲けていた父は、七里ガ浜の家の近く(鎌倉高校の裏手)に敷地150坪の豪邸を建設中だった。道を挟んだ向かい側には会社の保養所としてゲストハウスを建て、お手伝いさんを置いた。息子にとっては毎朝、小田急の始発駅まで送り迎えをしてくれる優しいお姉さんだったが、彼女こそ父のいちばん新しい愛人であり、母屋に住む継母と大バトルを繰り広げることになる。話が長く過激になるので、続きはまた今度。