垢抜けないシンママに一目惚れした超エリート
同棲相手と別れ、父の所有しているマンションに引っ越してきた目黒区碑文谷での暮らしは、すさんで最低だった自分を立て直すための規則正しい毎日だった。自由が丘からの引越しブルーはすっ飛んで、交通の便がいい目黒通り沿いなのを喜んだ。朝は息子を保育園に連れていき、TOKYO FMの収録に出かける時間までは原稿用紙に台本を書く。スタジオ入りの1時間前に家を出て、近くに借りていた駐車場から、これまた父に与えてもらっていたブルーバードに乗って新宿へ向かう。
最初は有名女性アーティストと男性声優とのラジオドラマ書きから始まった放送作家の仕事。やがてディレクターから他の番組も依頼されるようになり、出演するアーティストたちとの繋がりができて、訳詞やらステージ構成の仕事が増えていった。そのアーティストが持っている他の放送局の番組まで担当するようになって、「これ1本書くと〇万円!」と思えば、どん欲に書きまくるのがフリーランスの生きる道だった思う。
スタジオでの収録時間は、息子を保育園にお迎えに行く時間に重なることもあった。「済みません、できる限り急ぎますから」と保母さんに電話を入れて車に飛び乗り、混雑時間は入ってはいけない左端のバスレーンを突っ走った。どうしても仕事に戻らなくちゃいけないときは、作り置きしておいた食事を息子に与え、周りにおもちゃを並べて家を飛び出したものだ。
数年前まで六本木のディスコのお立ち台でチヤホヤされていたギャルは、もうどこにも居ない。マニュキュアを欠かさなかった指には、醜い大きなペンだこ。家のコンポーネントステレオで聞くのは、ディスコのDJに録音してもらったダンスミュージックから、放送局のレコード室で借りてきた盤選用のLPに変わった。聴取率を上げるためには文章だけでなく、センスのいい選曲も欠かせない。
そうして無我夢中で働いているとき、とあるアーティストのコンサートに呼ばれて行った。楽屋で紹介されたのは、芸能界・テレビ界ではトップに君臨するほどの著名プロデューサー。でも私はその人が誰だか知らず、「よろしくお願いします」と名刺交換だけして帰ったのである。
数日後、そのプロデューサーから電話があった。アーティストから私の仕事ぶりを聞き、一度会って話がしたいという。指定された時間が週末の夕方だったので、息子は鎌倉の実家に預け、待ち合わせ場所に向かった。ホテルオークラのティールームで雑談をして、「まだ時間あるでしょ?」と中国料理の銘店「桃花林」へ。支配人とはツーカーの常連らしく、「いつものを持ってきて下さい」と言っただけで、テーブルに豪華料理が並んだ。それを支配人が銘々に取り分けてくれる。
「ここで美味しいのは2つなんだ」と教えてくれたのは、大きなふかひれの姿煮込みとデザートのタピオカ。今になって桃花林のサイトでメニューを見れば、ふかひれの姿煮込みは1人前で16,200円もする。私だって下流のお嬢さんではあったけれど、初めて口にするプリプリとした食感に魅了されて、シンデレラになった気分だった。
それからも彼からはたびだびお誘いがありながら、仕事の依頼は一向にない。家までベンツで迎えに来てくれたある晩、言われたのは「今夜は一緒に泊まってくれる?」だった。帝国ホテルのコーナースウィートに入ったのは生まれて初めて。何よりビックリしたのは、彼がバッグからルームシューズを取り出したことだ。ホテルはスリッパが当たり前と思っていたのに、「週末はいつもここだから」と、自分の部屋のようにくつろぐ姿は天上人に思えた。
彼がいつも着ている服は普段着のセーターに至るまで、イタリアの高級ブランドのエルメネジルド ゼニア。私は碑文谷のダイエーで買ったワンピースをクローゼットに吊るすのが恥ずかしくて、自分がいかに田舎娘かを思い知った。なのに「最初に見た瞬間から好きになったんだ」と、素のままの私を求めてくれる彼には、育った複雑な環境のせいか、愛を渇望する心の空洞が見えた。「パパと呼んで」と私に言い、抱き合った最後に「ママ」と声を絞り出すのは、きっと寂しい幼児期があったんだろう。
離婚した亭主よりもずっと年上。別れた同棲相手がチンピラに思える格差。私の父とほとんど変わらない年齢の素敵なオジサマが彼氏になったことで、これまで垢抜けなかった小娘は、お嬢様大学でも教えてくれなかった上流志向の道へ入っていく。ただし住んでいるのは、ダイエーで買ったパンチカーペットを畳の上に敷いた2DKのマンションだ。
「今度、遊びに行っていい? 君の子どもにも会いたいし」と言われたとき、小学生の頃に読んだマンガを思い出した。タイトルは忘れたけれど、大金持ちのお嬢様が貧乏人の同級生と友だちになりたくて、あの手この手を尽くす。似非ボランティア精神を見透かされて最悪に落ち込んでいるところを、貧乏な友だちが「うちでご飯食べる?」と誘ってくれるのだ。出されたお皿に乗っているのは、水っぽくて具がほとんど入っていないカレーライス。でも他の兄弟たちと賑やかに食べるカレーは美味しくて、そこから親友としての付き合いが始まったという話である。
帝国ホテルのスウィートルームとは段違い。日の当たらない1階で、安いパンチカーペットの2DKに彼を招いたら、私をどう思うだろう。初めて息子に合わせたとき、どう場を取り繕えばいいんだろう。でも約束の日は刻一刻と迫ってきて、イチかバチかの勝負にでる時がきた。
書いていて我ながら小説みたいと思うけれど、事実は小説より奇なりだ。こんなのは序の口で、15回以上も経験した引越しにはウルトラ級の超ブルー、超レッドな出来事が付きまとった。長くなったので、この続きは次回に。
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