またあそぼ|迷子になって初めてブランコを漕げた徳島の森
大家族で住んでいた小松の家を夜逃げする前に、3歳のころ、徳島に住んでいたことがある。銀行員だった父の転勤で引越したと思うのだが、どんな形の家だったか、どれくらい住んでいたかの記憶は薄く、思い出すのはイヤなことばかりだ。
当時の私はワガママすぎる幼児で、欲しいものがあれば手に入れずにはいられなかった。人形を買って欲しかったのに、きっとそれは高価だったのか、母は「絵本にしなさい」と勝手に1冊を選んだ。店から家に戻っても腹立ちが収まらない私は、絵本を縁側の下に投げ入れて、ワンワン泣いて畳の上を転がりまわった。そこには母方の祖母や伯母たちがいて、全員が言葉も出ないほど呆れかえって私を眺めていたと思う。
引越してきたばかりで友だちは誰もいない。遊ぶのは独りっきり。それまで小松の家で甘やかされていた生活が無くなったことで、両親を敵のように憎んでいたのかもしれない。
そんな少女は大冒険に出る。父方の祖父母が恋しくて、歩いて小松に帰ろうと試みた。ところが家の裏手にある森に入ってしまい、そこから出てこられなくなったのである。おそらく林か鎮守の森ぐらいのサイズで、大した森林じゃなかったはずなのに、私には「青い鳥」の童話に出てくる魔女の森に思えた。真っ暗で、妖怪の手足みたいな木の枝がうごめき、踏み込んだら二度と出てこられない迷宮に思えたのだ。
泣いて泣いて泣いて、パパママを呼びながら彷徨った。木の根に足を取られて転び、痛くてまた泣いて、だんだん日が暮れていく恐怖。でも奇跡は起きた。ヒックヒックと嗚咽がしゃっくりになっている私に、救いの神が現れたのである。
「どうしたの? 迷ったの?」
たぶん小学生か中学生の、初めて見るお姉さんが前に立っていた。「どこの家の子?」と聞かれても、私は自分の苗字が言えず、ヒックヒックしか声が出ない。「おうちを探そうね」とお姉さんは私の手を引き、森の外へと連れ出してくれた。
気付いたら夕焼けの公園で、私はブランコに座っていた。後ろにはお姉さんがいて、「大丈夫!きっとママが来てくれるよ」と微笑んでいる。「ブランコを漕ごう」と温かい手が背中を押してくれると、地べたに踏ん張っていた足がフワッと宙に浮いた。これまでどうやってもブランコを漕ぐことができなかったのが、生まれて初めて弧を描くことができたのだ。髪が風にそよぎ、大きく身体をスイングするほど楽しくて、涙は笑顔に変わっていく。もっと速く漕ぎたい、もっと高く足を跳ね上げたい。ブランコ漕ぎで成長した自分が嬉しかった。
「そこにいたの?」
聞き覚えのある声に振り向くと、母が私のもとに歩いてきた。家出した娘を探し回っていたふうでもなく、どうやら私が迷子になっていた時間はとても短かったらしい。それでも母が来てくれた安堵感にまた涙がこみあげてきて、周りの景色がにじむほど泣き続けたと思う。そして・・私を助けてくれたお姉さんはどこにもいなくて、以後出会うこともなかった。あの人は本当にいたのだろうか。顔も思い出せなかった。
夕暮れのブランコは私の中で鮮やかな思い出となり、「またあそぼ」という童謡になった。歌うとあの日の心細さがよみがえり、切なさと安堵感で胸がいっぱいになる。
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