マタニティブルーを解消したのは育児書よりも祖母の豊富な経験
夢から醒めたと言えばいいのか、私は結婚してから半年で夫に嫌気がさしていた。会社が休みの日は義母の待つ実家に入り浸り、一日中スポーツ番組を見ている。「どこか遊びにいきたい」とねだれば、茶箪笥のお財布から数千円を抜き出して、義父母、義兄一家、義姉一家、私たち夫婦で食べるケーキを近所まで買いに行く。夜は子どもたちがドタドタ走り回る茶の間で、みんなが一つの大皿をつつく食事をして、あくびが出る頃になるとやっと南馬込のマンションに戻るのだ。
夫の自分勝手さは、妻の誕生日さえ忘れてしまう。私が編んだセーターを着て友人たちと遊びに行ったまま、深夜になっても帰ってこない。実家の家族には毎週のようにケーキを買うのに、妻にはバースデーケーキも花束もない薄情さ。身重でなければとっくに離婚していたのにと、涙があふれて止まらなかった。
4月の上旬、予定日より早く陣痛がやってきて、明け方に出産。病室に訪れた父は「男の子で良かった」と大喜びし、夫は「なんだ男か」とけなして帰った。義姉の子どもたちが3人とも男なので、自分のところは女の子が欲しかったらしい。分娩が想定以上に長くかかり、出血が多くて疲れ切った私は、もうどうにでもなれという気分。それでも小さなベッドで眠っている息子が傍にいるのが嬉しくて、早く抱きたくてたまらなかった。
ところがこの入院によって、一気にマタニティーブルーが加速。新生児は母親の胎内と同じぐらいの気温下に置かなくてはならないと、病室の温度を36℃に保つのである。汗びっしょりでボーっとしている私に、栄養を付けないとダメだと高カロリーの食事が出てくる。それは産院で作った食事ではなく、近くの中華料理屋から出前してくる油ギトギトの中華丼。気持ち悪くて1/3しか食べられないでいると、追い打ちをかけて生クリームたっぷりの大きなショートケーキが出てくる。暑くて苦しくて吐きそうで、二階の窓からカーテンを垂らして降り、家に逃げ帰りたいと何度も思った。
さらに私を鬱に追い込んだのは、産院の子育て法。普通の育児書とは真逆な方法の指導をするのである。赤ちゃんに母乳を飲ませたあとは背中をトントン軽く叩いてゲップさせるものと思っていたら、この産院ではゲンコツで力いっぱい背中をギューッと押し上げて、「グエッ」と言わせるのだ。しかも1回ではなく、何回も何回も身体を絞り上げろと言う。やっと寝かせていいとお許しが出たら、搾乳の時間が始まり、その後はまた高カロリーなおやつが出てくる。拷問のような入院生活が終わってくれることだけを祈って待った。
しかし退院日の朝、院長先生から言われたのは「貧血がひどいので、あと1週間ほど入院してください」だった。気温36℃の部屋にあと1週間!? 息子の背中をゲンコツでグエーッ!? 朝はトースト4枚、昼は中華丼、おやつにショートケーキ、夜は・・・記憶から消し去りたかったのか、もう覚えていない。
試練はそれだけじゃなかった。1週間後にやっと退院してマンションに戻ると、義母と継母(父の愛人)が来ていて、しばらく雑談したあとに「じゃあね」と帰っていく。普通だったら産後の肥立ちと言って、出産後のママは実家に戻って寝ているんじゃないの?と思うのに、いきなり出産前の生活が戻ってきたのである。新生児をベビーカーに乗せられる段階ではないので、寝ているあいだに馬込銀座の商店街に行って、夕食の食材を買う。掃除も洗濯も普段通りで、酒屋さんが持ってきたビール瓶のケースをベランダに運ぶのだって、夫は手伝ってくれなかった。今になって思えば「おしん」のような生活だった。
そして貧血の治療のために、3日に1度は産院に通い、また目の前にショートケーキが出てくるのである。マタニティブルーはさらに深刻化し、顔にはミミズ腫れができた。アレルギーかと思ったら帯状疱疹。踏んだり蹴ったりの新米ママにとって唯一の安らぎは、鎌倉の祖母が時どき手助けに来てくれること。「寝てなさいよ」と言って炊事洗濯をやってくれては、我が子のように曾孫を世話して可愛がり、私以上の母親っぷりを発揮して帰って行った。
大らかな祖母のおかげで、私の子育ては少しずつ平穏化。昔の大家族の中で7人もの子どもを産み、姑のいじめに耐えて家事をこなしながら子育てをした人だから、余裕が半端ないのだ。祖父が事業に失敗してからは、愛媛県西条市の借家で和裁の仕事をして、2人の男の子を学校に通わせた。鎌倉の七里ガ浜に越してきてからは、仕事で家に帰ってこない父母の代わりに、孫の私を愛情深く守り育ててくれた。どん底続きだった人生で、自分をいちばん幸せにしてくれたのは「子ども」だと言う祖母の手にかかれば、乳児の扱い方はどんな育児書よりも信ぴょう性がある。
かくして新米ママは祖母という大先輩に教えを請いながら、夜泣きぐらいではへこたれないポジティブなママへと成長していった。その頃にはマンションの同じフロアに住むママ友ができて、苦手だった馬込銀座商店街の情報も入ってくる。時には子どもを預かってくれて「遊んでらっしゃいよ」と私を送り出してくれた。
マタニティブルーを解消してくれるのは育児書ではなく、人生の大先輩と近くの親友。一人で抱えるのは「悩み」でも、心が通じた人と一緒に抱えれば「安心」に変わることを知った。
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