帰宅願望とは家でなくて愛するものに帰りたい引越しブルー

藤沢市片瀬の借家で過ごした小学生のころ、夏休みになると愛媛県西条市に住む祖母の家に遊びに行ったものだ。両親と一緒の時もあれば叔父や親戚に連れられて、寝台列車とフェリーを乗り継ぐ長旅は一日がかりだった。

 

東京駅から岡山県の宇野駅までは寝台特急列車「瀬戸」に乗る。誰もいない深夜の始発駅を電車が静かに動き出すと、遊園地の乗り物みたいでワクワクが止まらない。かいこ棚のような3段になった寝台の真ん中で、知らない名前の駅につくたびに私はカーテンを開けてホームの様子を眺めた。

発車ベルは鳴らずに電車は出発し、進むにつれて街の灯りが少なくなっていき、やがて闇が訪れる。心細さにカーテンを閉めて眠ろうとするのだけれど、また次の駅に着くと外を眺めずにはいられない。そんなことを繰り返しているうちに朝寝坊。気付くとベッド脇の通路には乗客たちが立って、開いた窓から入ってくる涼しい風を浴びていた。外は一面の田園風景で、風が運んでくる青い稲の匂いが車内に立ち込める。生まれ故郷に近づいているんだという郷愁を子ども心ながらに感じて、眠気が一気に吹き飛んだ。

 

「瀬戸」は宇野駅に到着し、ここから四国の高松駅までは海を渡るフェリーに乗る。国鉄・宇高連絡船は昭和63年に瀬戸大橋が開通するまで運航していた幹線交通路。「土佐丸」「讃岐丸」「伊予丸」「阿波丸」といった名の船が運航していたと思う。

 

 

固いブルーの椅子に座って、宇野から高松まで1時間。着岸する前から乗客たちは出口に並んでいて、降りたとたん高松駅のホームを目がけてダッシュする。その当時、宇野駅、高松駅、窪川駅は「四国三大走り」と言って、接続列車やバスに向けて乗客たちが先を争うことで有名だったらしく、宇野駅では予讃線の席取りのために競争したのである。

 

四国の瀬戸内海沿いを走る長距離列車の予讃線はディーゼル列車。特有の臭いが立ち込めるホームには機関車のエンジン音が響き、人と荷物とがごった返している。運よく座ることができた私は窓にへばりついて、色あざやかな夏の景色を眺め続けた。磯の匂いと田んぼの匂い、山の匂いがミックスした空気は住んでいる湘南とは異なり、幼児期の鼻孔に記憶として残っていた故郷の匂いそのものだ。駅で窓から買った冷凍みかんの甘酸っぱい味と共に、幾つになっても忘れることはないだろう。

 

 

「西条、西条」のアナウンスが流れる目的駅に着くと、改札口には父方の祖母が待っている。「ようきたね」と伊予弁で出迎えてくれるのが嬉しくて、私もこの時から東京弁はさっぱりと忘れ、愛媛の田舎で育った昔に戻った。

駅から歩いて10分ぐらい、小川の縁にあった祖母の家は今で言うなら古民家。台所は土間で、お風呂は庭にポツンと建っている掘っ建て小屋の五右衛門風呂である。その奥には「ひみつだった近道と原っぱで道草した放課後」に書いた鶏小屋があり、夏休みのあいだ私の仕事は生みたてのタマゴを取りに行くことだった。朝になると他の家からやってきた雄鶏がコケコッコーと雄叫びをあげる。早くから目が覚めた私は小川で小魚を追いかけたり、野の花を摘んで祖母に名前を教えてもらったりしながら、一日を過ごした。

 

玄関先には大きなイチジクの木があって、竹竿の端に袋をつけた器具で熟した実を取る。皮がスルリと剥ける大きな実を頬張ると、甘いジャリジャリとした触感が心地よくて、おやつに2~3個食べるとお腹いっぱいになった。都会に出てからスーパーでイチジクを売っているのを見たときは「なぜ、家にあるものを売ってるの?」と不思議でたまらず、試しに買って食べたところ、味も素っ気もない別物だと思った。

 

 

祖母の家には同じ西条市に住んでいる従妹たちが遊びにきて、鶏の鳴き声よりも賑やかになる。夕方までかくれんぼをして、夜は部屋に吊った青い蚊帳のなかで冒険をして、一日じゅう笑い転げていた。それなのになぜか夕方になると疎外感が湧き、従妹たちとは違う育ち方をした自分を感じる。感が極まると恋しいのは両親がいる藤沢市片瀬の2DK。小川の向こうに日が落ちて行き、紅の夕空が藍色に変わり、今日はもう帰れないのだと思うと涙が止まらなかった。

 

あれから何十年の月日が流れ、今は自分の住まいも構えている。それなのに子ども時代からの帰宅願望は消えることがなく、引越しのたびに「ここではない」と思っていた。帰りたいのは家ではなく、私を取り巻いていたあたたかい人たち。「生まれた場所へのひとり旅」に書いた生家を探し歩いた夏の一日は、もう帰れなくなってしまった場所と人が無性に懐かしくて、その片鱗を探そうとした旅である。まさに引越しブルーの原点だ。

 

西条の隣町、小松の家で暮らしていた家族はみんな遠くへ旅立ってしまった。わがままな孫娘を愛おしんでくれた祖父母は墓石の下。家族を捨てて再婚した母は別の子の親になった。口やかましくても世界一私を大事にしてくれた父は、脳卒中で半身不随になったあと認知症になって介護施設にいる。

今年もあと数カ月で真夏がやってくるけれど、思い出すのは愛媛のむせ返るような草いきれやクマゼミのコーラス、取り立ての濃厚なイチジクの味、朝いちばんの雄鶏のコケコッコー。小松の生家と祖母の借家がごったになって、遠い記憶にある夏ほど、色と匂いがあざやかになっていくのが不思議である。